内外痔核根治術
リアルタイムな患者の痛み
執刀医 木島病院肛門外科 服部和伸
患者 岡本 透
筆者 おかもと接骨院
院長 岡本 透
内外痔核根治術、リアルタイムな患者の痛み 岡本 透の場合
AM 5 : 40 を告げる目覚まし時計がけたたましく鳴り響く。今日は私の痔核の手術の日だ。
10 年前に硬化療法と言う手術をして以来 2 度目の手術になる。これが、最後になるはずであろう根治術となる。
家で 6 時から下剤を1.8 L 飲み干し、トイレで出すものは出して(最後は透明になる) 10 : 00 に家を出る。木島病院に着くや否や主治医の服部先生の診察、すぐに大腸ファイバー検査、これを機会に大腸癌の検査もしてしまうのである。大腸に空気を入れるのでおなかが張って辛い。更に下行結腸から横行結腸の曲がり角が通りにくい。何とか通し更に横行結腸から上行結腸も手間取った。虫垂の入り口付近に憩室あり。更に小腸入り口あたりに、やはり 2 , 3 箇所に憩室がある。「痛みがある場合虫垂炎と間違えやすいから、気をつけてください。」と言われる。幸い大腸癌などはなかったようだ。終了すると病室に入りしばし休息。 407 号室、この部屋が私の 1 週間ほど生活する場となるわけだ。そう思うと急に緊張しはじめた。次にくる手術を思い起こさせるのだ。 13 : 40 術衣に着替え筋弛緩剤の筋肉注射をする。そのまま、ストレッチャーに寝て 13 : 55 退室。
平成 15 年 12 月 25 日(木) 14 : 00 手術室に入室、早速、麻酔開始、仙骨ブロックと、硬膜外麻酔チューブをいれる。
14 : 30 内外痔核根治手術開始。 筋弛緩剤も、打っているせいか少々眠ってしまった。しかし、殆どの術中の声が聞こえる。私はこの病院で働いていたので一通りの医学用語は知っているつもりだ。これも、嫌な物である。全身麻酔のほうがよかったが火曜しか麻酔科の浜谷先生が来てくれないのだ。火曜を選べば接骨院を更に多く休まなくてはならない。仕方のない選択だった。
内外痔核根治術 15 : 50 頃終了
とりあえず、痛みはない。不覚にも、 10 年前同様に血圧が手術終了後に下がった。気が抜けてしまったようだ、 B/P72/25 と記憶している。ものの 5 分程で 120 くらいに上がりそのまま、病室へ。
足親指しびれながらも、 18 : 00 に食事、腹部膨満感あり、大腸ファイバーのときに空気を入れたときのものらしい。
19 : 00 に家内帰宅。そこから、徐々に疼痛増強、眠ろうと思ってもなかなか眠れない。断続的に眠っていたようだ。
12 月 26 日 0 : 00 硬膜外麻酔プッシュ 1 時間後変化なしにつき、ボルタレン 1 錠 3 : 00 に服用、たまらなく喫煙しにラウンジまで歩行。痛みのためかなり腰を引いていて足を一歩出す度にお尻に痛みが走る。 4 : 00 徐々に効果が現れ睡眠できる。
6 : 00 検温 36.6 ℃さらに、睡眠。 8:30 朝食、徐々に痛みも増強、 10:00 服部先生の回診、ボルタレンは2錠までならいいということで2錠服用、痛み軽減し病院内徘徊するも 16 : 00 の点滴時に痛みの増強をみる。
17 : 00 に服部先生回診、8時間おきじゃなくてもいいよ、ということでボルタレン服用、 17 : 30 家内の見舞い。下腹部にガスがたまり辛い。出せばいいと思うが手術した後と言う事と、いきむと痛い。便座にすわり、とうとう踏ん張る。強い痛みが走りガスを排出!痛みの割りにシューと、軽い音を立て排出。口からはハーと、ため息が出る。
18 : 00 に夕食、 18 : 30 に家内帰る。 19 : 00 に再度ガス抜き件ポステリザン軟膏を塗りガーゼ交換。塗ると痛みが軽減する。気をよくして映画を見ることにする。ノートPCを持ってきたのだ。入院生活はなんと言っても「暇」と言うのが当たり前だと思ったからだ。ディズニーの「シュレック」を見た。面白さに夢中になっていたら、看護士さんがきて検温をしていった。 37.2 ℃どうやら、微熱が続いているようだ。しかたがない。昨日手術したのだから。と、あきらめモード。
現在 9:20 もうひとつ映画を見てボルタレン服用して寝ようと決める。 0:00 に就寝するも 2:30 に痛みのため起床、硬膜外プッシュ。ジュースを飲み落ち着かせる。やはり、麻酔の威力でここまで、痛みを抑えているのかなぁ〜?と、思うも、脊髄硬膜に入るチューブをはずした時の痛みがどれほどのものとなるか恐怖を覚える。よくなっているはずなのだが、こうも、痛みが続くと不安になる。 3:00 就寝
12 月 27 日(土) 6:00 検温、痛みは少ない。 7:30 起床、今日は雪が降っている。このままの状態では家に帰っても、除雪機で駐車場の除雪をする自信がない。ため息をつきながら、ふらふらとタバコを吸いに行く。 8:30 朝食、いつもながら、質素な食事である。今まで、いったいどれだけ高カロリー食を摂っていたか考えさせられる。食後ボルタレン 2 錠、ヘモナーゼ 1 錠を服用。硬膜外麻酔とうとう無くなってしまった様だ。今日の診察で抜くことになるだろう。 9 時現在痛みは少ないが肛門を閉めると痛みがある。このくらいだったら、楽なのだがボルタレンが切れる時に痛みがどれほど出るか心配、硬膜外麻酔もはずすだろうし。ま、徐々には治っているはずだしそんなに心配しなくてもいいかと、自分に言い聞かせる。
10 : 00 より点滴、 11 : 00 終了、診察待ち。痛みは少ないが咳などをすると痛い。家内に TEL 「今日から風呂には入れるらしいから、髭剃りを持ってきてほしい」と、伝える。豚マン持ってきてくれるそうだ、「楽しみ、楽しみ。」
12 : 00 診察し硬膜外麻酔のチューブ取る。薬を変えるそうで塗薬を麻酔効果の高いものとするらしい。お風呂は入ってもよくなった。 12:15 帰室、家内が豚マンをもって食事を待っていた。今日の昼食はハヤシライス。家内の持ってきた寿司を少々もらいさらに豚マン、かなりの高カロリーだ。しかし、旨い。やっと、普通の食事をしたって感じだ。あと、お尻の痛みさえなければ、排便もうまくいけば完璧。いま、現在 (13 : 00) で、手術後約 45 時間になる。まだ、二日もたってない訳だから仕方がないといえばそうなる。
13 : 20 便意がありまたガスか、と、思いきばると少量の便が出る。タバコの太さくらいだが便は便だ。痛みはさほどでもなかった。同時に午前の診察時に言った塗り薬の強いやつオキセザゼイン軟膏が届いた。傷口に直接塗らないと効果がないらしい。塗るときは大変そうである。とにかく痛みの強いときに塗るものと判断。 16 : 00 から点滴なので、お風呂は点滴の前に入ろう。と、いうことは 15 : 00 には入ったほうがよさそう。家内は 18 : 00 ごろに来るらしい。
13 : 50 風呂のお湯を入れる、出が悪い。いっぱいになるまで 30 分はかかりそうだ。突然 TEL があり家内からだ、兄貴が来るという。また、間の悪い時に来るものだ、 2 , 30 分ほどで来るらしい「風呂に入れんじゃないか!」困ったものである。
兄貴夫婦が、 14 : 30 頃に来た相変わらず冗談ばかり言って帰っていった。さて、風呂に入ろうと思い戸を開けるとお湯がほとんど入ってない。浴槽の栓が甘いらしく、しっかり栓をしていないためであった。又、 30 分待たないといけなくなった。次いで、また、便意を催す。先ほどと同じような便であったが、今度は痛い。困ったものである。 15 : 00 も、過ぎたしそろそろ、風呂に入れるか?
風呂に入ると、痛みはあっと言う間に減り気持ちがよかったが、上がると、急激に痛みが増強した。風呂から上がってからさっさと着替え、オキセサゼイン軟膏を塗る、痛みはそれほど、止まりはしないようだ、そもそもこの軟膏は胃潰瘍の薬のはずである。服部先生も「創に直接塗らないと効かないよ。」と、言っていた。肛門内の創に直接など無理です!タバコの太さの便でさえ痛いのに「上っ面しか塗っていないんじゃ効かないわさ」と、言い、ボルタレン 2 錠服用。いま、 PC を打っている最中もやっぱり痛い、風呂上りのせいで小汗がでているのか、痛みのために汗がでているのかよく判らない状態である。もうすぐ、 16 : 00 になる。点滴に看護士がやって来るから、準備しないといかん。痛〜い!
16 : 50 点滴終了同時に家内が来る。痛い痛いと、弱音を吐く。「お昼にはやっと晴れたみたいな顔しとったのに、雲行きが怪しくなってきたって感じだね。」と、家内は言う。確かに暗雲立ち込めるって言うのはこの事だ。参った。
17 : 50 友人の稲元君が見舞いに来る。ありがたい話だ、しばらく 3 人で談笑していたらようやく痛みが和らいできた。そこへ、家内の父も見舞いに来てくれた。それまで、寝ていたのだが起きてみると、以外に痛みは少なくなっていた。もちろん力を入れると痛いが、食事の時間になりそのまま、食事を取る。先ほどよりも、更に痛みは少なくなっている。話す事の重要さは感じてやまない。本当にありがたい話だ。
19 : 00 も過ぎるとまた、誰もいなくなった。また、痛みのことを考えそうだ。突然、事務の由香ちゃんが献立表を持ってきてくれた。なんと、明日のお昼は秋刀魚の塩焼きだそうだ、よりによって一番嫌いな物だ!家内に何かオカズを持ってきてもらおうと考え、メールを打つ。
20 : 00 が過ぎタバコを吸いに行く。私の手術の後で、手術をした人が家族ぐるみで談笑していた。私はその中にでも入っていたら、また痛みも少なくなるかと思いしばらくその輪の中に入っていた。人と話していると痛みが少ないと、認識しながら談笑している私たちがいた。 9 時になり看護士の島ちゃんが見回りに動き出した。さて、部屋に戻るとしますかと、立ち上がり、一人寂しく日記をつける。
この痛みはいったいいつまで続くのだろう。排便の恐怖がついてしまっているこの私にいつになったら楽な排便が来るのだろうか?とにかく、手術後 100 時間は痛いと考えるべき事とし、退院が待ち遠しい。しかし、よく考えてみると初めから判っていた事なのだ。ただ、痛みに弱い私としては書かずにはいられない。
12 月 28 日(日) AM0:20 痛みのため眠れない。オキセサゼイン軟膏を塗る。このまま軽減しない様ならボルタレンでも飲もう。それにしても、術後のオムツかぶれ(接触性皮膚炎)がひどい。明日、家内に抗ヒスタミン剤を持ってきてもらおう。
6:30 島ちゃんが検温に来た 35 度9分だった少しずつ微熱も下がってきたみたいだ。このまま炎症が低くなってくれればあり難い。痛みも少なくなるはずだ。
7:00 起床。タバコを吸いに行く。人と話しているとやっぱり痛みが軽減してくる。その会話の中で NWS があった。私の後で手術をした N さんが既に退院してしまったと言う。確か 3 箇所ほど切ったという話だった。私はひどかったらしく 4 箇所、しかも大きいので紡錘形に切り 4 箇所だから七夕のチョウチン(折り紙)の様に切ってある。ゆえに通常なら小 1 時間程で終わる手術が 1 時間 20 分も、かかっている。退院した N さんがうらやましい。って言うか、今まで放っといた私が悪いだけなんだが、、、、。
8:00 に朝食を看護士の北さん(旧姓嵐)が持ってきてくれた。食事を終え家内にベナパスタを持ってくるようメールを打つ。接触性皮膚炎があり痒い。痛みの強いときはあまり感じてなかったのだろうか、痛みの少ないときはやたら痒い。
朝食後便意を催し出すが、排便時痛はもちろん有り、それから立ち上がったときの痛みは更に強い。刺す様な痛みがしばらくつづく。 30 分程すると痛みが和らいできた。その後すぐに午前の点滴が始まる。トイレに行ってなかったので尿意がすごい、頑張って我慢していたら更に痛みは軽減した。他の事を考えている時ほど麻酔効果があるようだ。(失笑)タバコでも吸ってこよう。
タバコを吸っていると山の上町にあった頃の木島整形外科病院時代にいた事務の岡野さんに会う。しばらく話をしていたら痛みが少なくなった。
12:00 家内が私の母を連れて見舞いに来る。しばらく話をし、食事が来たので食べ始め食事をしながら世間話をしていた 30 分程話をして帰っていった。
長時間座っているのも痛い。そろそろ、ボルタレンを飲もう。また、4時前から点滴が始まる。それまでの2時間あまり何していようかと、模索、とりあえず家内がベナパスタを持ってきたのでそれでも塗ろう。
そうこうするうちにまた便意を催す、もはや恐怖のなにものでもない。ああ、どうしよう、などと考えるが痛み自体が便意と、感じてしまう事にも問題がある。便座に座っても、踏ん張れないという問題、少しずつ踏ん張って出してしまえばいいのではあろうが全部出してしまえばしばらくは楽なのでは?とも思うし、正確な判断が付きかねる。
16 : 00 そろそろ、午後の点滴の時間である。 1 時ごろに便意を催し思い切って出すが、最初に痛みが走りなかなか出ない。更に少し踏ん張ったとき出た。しかし、更なる激痛が走る。便が今までの便と少々違う。太いのだ。今まではタバコの細さ位の軟便だったのに形になっているではないか。しかも、葉巻大はある。出きった後痛みとの格闘である。すぐにポステリザン軟膏を塗りガーゼをあて、ボルタレンを噛み砕き飲む。そのまま、 30 分、ベッドに横になって痛みと格闘。そのまま、ボルタレンが利いてきた頃に眠りに入る。と言った辛さでした。
16 : 00 点滴開始。 TV を見ながら 1 時間が過ぎ終了。その頃に家内から TEL がありそろそろこちらに来ると言う。痛みも少なくなってきたし、話し相手でも探してタバコでも吸っていよう。と、喫煙ラウンジに行く。話しているとき痛みはやはり少ない様である。 5:50 になり、部屋に戻ると、家内がいて、いきなり涙を流すではないか。「どうしたん」と聞くと、「わからん」と、言う。家を留守にしているのがこれで、 4 日目になる。この 9 年間、会合などで 1 日は留守にすることはあっても、 4 日、まして今回は 1 週間も、離れている事になる予定だ。家内のお母さんに来てはもらっているが、ストレスはかなり溜まっている様だ。まして、私は喫煙ラウンジで談笑している。その方が私の為だと思ったのか、病室で一人 30 分程も待っていたらしい。寂しいと言う心と、私の事を第一に考えなくてはと言う心との葛藤が生まれたのだろう。そっと、頭をなでてやるしかなかった。家内もお腹に赤ちゃんを抱えている身、もっと、気を使ってやらなくてはと、自分を叱責した。
そうこう、するうちに食事も終わり 7:00 になって家内は自宅へ帰った。本当に長く感じる入院生活だ、私以上に家内のほうが長く感じているのかもしれない。映画を見ても痛みの為に気が入らないし、夜になると話し相手もいない病室に一人、徐々に痛みも増してくる。 TV を見ても年末のスペシャルばかりで面白くもなんともない。家内がお昼と夜に見舞いに来てくれることだけが、楽しみである。まだまだ、外に出る勇気も力もない私にとってそれが、唯一の外界との交流。円座に座って腰を引き PC のキーをたたくのが精一杯。それでも、痛くなって来る時はある。しかし、徐々に長く座っていられるようになっている実感はある。もうしばらくすれば痛みも軽減してくるはず!前にも言ったように 100 時間はかかるはず。痛いのは当たり前、大出血でも起こさない限り大丈夫!と、言い聞かせる。
20 : 00 タバコを吸いに行く。持ってきたタバコの 3 箱目になる今まで 1 日に半箱しか吸ってなかったのに量が多くなっているようだ。もう少し自重しよう。
現在 22 : 00 映画を一つ見終わって、さて、今日はもう床に入るかと、思いボルタレンを用意する。明日からは点滴が無くなる。抗生剤は錠剤になる。商品名バレオン(塩酸ロメフロキサシン)と言う抗生剤だ。少しずつだが改善していることは確かなようだ。明日、排便時どれほどの痛みが出るか、今は考える余裕がある。何故なら痛みが少ないからだ。そして薬が変わり弱い薬になり安定さが出てきているのも確か、まだ排便時は痛いけどそれも、そのうちよくなるだろうと思える。精神的にも安定してきた証拠である。相対的にも安定材料が増えてきているということは、今日は無理をせずに早めに寝ておこう。明日はいい日でありますように。
12 月 29 日(月) 7 : 00 起床 30 分程前に検温があり 36 度 2 分だった。さて、今日はどんな日になるか術後 100 時間を迎える日になる。今日の午後 4 時で 96 時間( 4 日)を越え、 8 時で 100 時間を、越える。さて、どうなるか。朝食の後、排便時の痛みがどう出るか?思った通りなのかどうか。
8:40 朝食を終える。今日から点滴はなく抗生剤のカプセルを服用。
今日は朝食後に便意がない。現在 9:50 になっても便意はないため風呂の準備をする。風呂に入って温まったら腸の動きもよくなってくるだろう。多少出血もあるが、風呂の水を吸い込む訳でもないし不潔にはならないだろう。その後、ちゃんとガーゼ交換と薬は塗るのだから。多分、排便時の出血があと 1 週間は続くであろう。先々月の裂け痔の時も約 10 日程かかっているから、そんなもんだと思う。
10:10 服部先生の回診がある。接触性皮膚炎がひどいと言うことでステロイド製剤が出る事になる。排便時痛に関しては「時間が決まっていれば排便前にボルタレン飲むとか、もしくは風呂に入ってから排便してもう一度入るとかすればいいよ。」と言われる。なるほどとも思い、実行してみようと思う。
10:30 風呂に入ってみる。温かい。痛みが消える。ちょっと上がってみる大丈夫痛みはない。 2 日前の時は上がったとたんに痛みが出た。よくなっている証拠だ。服部先生の言うように一度上がって便をしてみようかとも思うが、便意もないし、そのまましばらく浸かって体を洗う。洗い場がないので、風呂の中で洗ったのでお湯は流してしまった。少々汗ばんだ体を拭き「気持ちよかった。」と、病室で、パンツとシャツでしばらく涼んでいたら急に便意を催し、大丈夫かな?とも、思ったが排便した。やはり、痛い。昨日ほど太い便ではなかったが痛いものはやっぱり痛い。薬を塗ってガーゼを当て、しばらくじっと我慢する。 10 分程で楽になってきた。よかった。やはり、少しずつよくなっていると言う実感がわく。
11:30 家内が来る。今のことを説明したら喜んでくれた。家内の不安も、少しずつ解消しなくてはならない。痛みが引いてきた事、排便も少しは変わってきたこと、排便後も痛みがすぐ治まること、歩行は腰を引かずに歩けるようになったこと。安心材料がかなり増えて来た事が家内の安心に繋がる、不安材料は言わないように未来展望ばかりを話すようにした。昼食を食べた後、家内のお腹を見るとかなり出てきたようだ。二人の最高の幸せはここにありって感じだ。身重の家内がこんなに私に尽してくれる。家内が入院した時そんなに私は尽すことが出来るのだろうか。家内も、もうすぐ子供を生む予定だ。そのいちばん辛い時にいてやれるだろうか、そんなことが心配される。
14 : 40 便意有り。直ぐに用意して少々搾り出すような感じであったが充分出た。痛みはさほどではない。もちろん出す時は痛いが踏ん張るのが痛いだけになっているようだ。昨日はしばらく横になって痛みをこらえていたが、今日はそうじゃない。結構、安心して出来る。昨日よりは楽。今日の昼よりも更に楽。と言った具合だ。でも、やっぱり 15 分はかかっている様で、入院前は押し込むと言う作業だったが今は薬を塗って清潔に保つと言う作業が必要になった。さて、のちにこの作業が必要なくなったらトイレの時間は 10 分以下に出来ると思う。そういった排便を心がける様にしていかなくては、またこんなひどい思いをしなくてはならなくなる。と、心に言い聞かせる。
16 : 30 家内の父と母が見舞いに来る。卯の花を持ってきてくれた。父は 2 日前に来た時、私の状態を見て 31 日に退院出来ないと思っていたらしく今の状態を見てビックリしていたようだ。私ももう、「大丈夫です」と言いうと、二人とも安心していた様だ。皆に心配させ大変申し訳なく思っている。
父と母が帰ると家内がすれ違うように来た。一階のロビーで会ったらしい。今日の出来事など話していたら家内も安心していた様だ。家内もかなり参っているらしく今日は家で眠っていたらしい。最近、家ではなかなか休んでいる暇がなく、疲れがたまっていた様だ。不安もたくさんあったろうし、これもまた申し訳なく思っている。申し訳ないついでに大歳の忙しい時の接骨院で緊急時の対応も出来ずこれまた申し訳なく平に謝ります。
さて、明日は今日よりもっといい日になるか?ある意味楽しみにさえなっている。このまま、 3 1日の退院までどのような経過をたどるか?逆戻りだけは勘弁してほしい。今日は 11 時位になったらボルタレンを飲んで寝よう。朝食後位までは利いているだろう。
12 月 30 日(火)今日は 7:00 に起床、起床時の痛みはちょっと重い程度だ、便意はないようだ。そのままタバコを吸いに行く。病室に戻り朝食を待つ。 8:05 朝食がきて昨日の卯の花を冷蔵庫から出しともに食べる。今になって痛みが少なくなり暇な時間をもてあまし始めている。書くことも少なくなって来た様だ。
9:45 服部先生の回診がありチクンとした痛みがあり、これはナイロン糸で縫ってあるのですか?と尋ねたら「いや溶けちゃう糸で縫ってありますよ。ま、とにかくひどかったから 2 週間はかかるでしょう。」と言うことだった。分泌液に関しても当たり前に出ているだけらしい。確かにそうだ。まだ、 100 時間を越えただけ、まだ、 114 時間だ。痛みが無くなっただけで、あとは修復作業が 3 週は続くはず。軟部組織は修復に最低でも 3 週は掛かる。当たり前のことである。筋々膜性腰痛症でも、最初の 1 週で痛みが軽減、 3 週で殆どの修復が終る。自明のことである。そう思うと安心でも有るがこれから後は感染の心配がある。清潔にしていくことが一番大切だ。と、自分に言い聞かせる。
10:10 排便、急に便意があったため風呂に入る準備が整っていなかった。ゆえに、少々痛い。しかし、持続性のものではないようだ。 30 分も呻くほどではない。ものの 5 分程でよくなっていくのがわかる。あとは、風呂に入って落ち着かせれば殆ど痛みはなくなるであろう。昨日ぐらいから安心材料が本当に増えてきている。このままいけば確実に新年 5 日からの診療は可能となるであろう。一抹の不安と言えば、便意とガスの区別が出来ない事。家に帰ってからは必ずトイレでガスを出そう、間違ったら大変なことになる。これらを守れば不安も消える。
11:00 風呂に入る。気持ちいい。痛みは、「あっ!」と、言う間に消える。体を洗いそして上がったら痛みがまた出てきた。ま、しかたがないか。と、汗を拭く。しばらく安静にさえすれば治るはずだから。
そろそろ、 12:00 になる。昼食の時間であり家内の来る時間だ。こんなことが楽しみになっている。 TEL があり、ちょっと遅れるそうだ。そう、塩辛を持ってきてくれる約束になっていたのだった。少し待っていよう。
食事が来る前に家内が来た。息をきらしている、急いで来たのだろう。身重なのだから気を付けて欲しいものだ。だが、これだけ尽してくれる家内には感謝せねばなるまい。むしろ細君と呼んだほうが良いのかも知れない程、心弱く私に尽してくれる。
食事が済んで家内が帰る。しかし、まだ、痛みがある。しばらく寝てしまおうと思いベッドに横になる。小 1 時間程寝て看護士の島ちゃんが検温に来た。あいかわらず、てきぱきてきぱきとしている彼女の仕事はやっぱり安心できる。看護士の鏡って感じだ。目も覚めたのでラウンジに行く何人か患者さんがいたのでしばらく話をしていたら更に痛みが楽になってきた。そして、 PC に向かい書いている次第である。もう、 15 : 40 になろうとしている。さて、映画でも一つ見てしまえば夕飯の時間になる。せっかくだから面白いやつにしよう。ロバートデニーロの「真実の瞬間」って言うやつを持ってきたはず。
5:40 映画終了。約 2 時間の映画が、かなり集中して見ることが出来た。お尻の事は殆ど気にしてなかったようだ。「よくなったなぁ。」と、つくづく思う。そろそろ、家内が来るだろう。いっぷくしてくる。
タバコに火を点けるやいなや家内が来た。と、火を消し病室に戻る。二人で明日の打ち合わせ。明日は退院だ!ようやく家に戻ることが出来る。この 1 週間一歩も外に出ていない。まだ、仕事への復帰は無理だが、仕事始めにはなんとかなるだろう。家内はこの 1 週間本当に良くしてくれたし我慢してくれた。まだまだ普通に戻ったわけではないがそこはもうしばらく我慢して欲しい。食事を終え、「もう、一眠りしたら帰ってくるんだね。」と、安堵の表情を見せる。「うん。」震えるほどの痛みと頭が真っ白になるほどの暇。(大袈裟かもしれない)この 1 週間が、 1 ヶ月のように感じた。(これは本当)やっと、明日帰れると思うと遠足に行く子供のようになる。「明日はどこかでお昼ご飯を食べよう。」雑踏の中にも入ってみたい、世間では大晦日、いやと言うほどの人ごみも今では懐かしくさえ思える。明日が待ち遠しい。「じゃあ、帰るね。」「下まで送って行くよ。」腰も引かなくても良くなった。普通に歩行できる。痛みはない。痛みがあるのは排便時とその後だけのようだ。家内は手を振り車で走り出した。それを見送りラウンジへ戻り、消したタバコに火を点けた。
10:00 まだ、眠れる時間じゃない。最後にもう一つ映画を見よう。トムハンクス主演の「マネーピット」と、言う映画だ。面白いと思うのだが、なかなか見る機会がなかったものであるこれを機会に見ておこう。
12:00 まだ眠くない今度はジョディーフォスター主演の「パニックルーム」を見よう。結局、この 1 週間映画を何本見ただろうか実際はそんなに見ていなさそうだ、と指折り数えてみると、どうやら、 8 本らしい。よく見たほうかと、思う。最初の 1 日目はそれどころじゃないし 2 、 3 日は気が入らないし、 4 日目くらいからやっと、まともに見られるようになったかな。さ、見て寝よう。明日はあわただしくなる。
12 月 31 日(水)大晦日
6:10 検温、なんだか、いつもより早い。多分、院内の患者が少なくなったからであろう。明日はお正月。当然であろう。そのまま、起床。
とうとう、退院の日がやって来た。いまから、準備しておこう。その前に便意もあるのですましておこう。「うん、昨日ほど痛いわけではなさそうだ。」しばらくすれば、良くなるだろう。
9:30 服部先生の回診が始まった。「お、今日が退院だったね。」と、言いガーゼ交換をして今後の注意事項をいくつか述べ、私は「おかげ様でなんとか 5 日から、仕事が出来そうです。ありがとうございました。」と、感謝の意を述べ 10:00 ごろ退院した。
やっと、家に帰れる。たかだか、 10km 弱の距離だが、これが 100km 程にも感じた。(ちょっと大袈裟)家のドアを開け中に入り接骨院の玄関に行く。少々物足りないお鏡と場にそぐわない大きなしめ飾りが印象的だ。少々手直しをして二階の住宅に上がる。すると綺麗に掃除がしてあり床に何も転がってなく埃一つさえなく、むしろ生活観がないと言う様な感じだ。家内の父と母が私のいない間、大掃除をしてくれていたのだ。頭が上がらない。今度、どこかに連れて行ってあげなくちゃ。
しばらくすると寒さに気が付いた。病院は一定の温度であったがここは違う。高気密住宅でもない。ファンヒーターを焚き温かくなるのをじっと待つ。そうこうするうちに便意を催し家に帰り初めての排便だ。その前に風呂のお湯を入れる。病院では一杯になるのに 30 分もかかっていたが家では 10 分で入る。排便の前に風呂に入り温まって来たら朝の排便の痛みはスーっと消えた。体も洗い上がったら直ぐに排便。結構量があった。もちろん排便痛はある。そのまま、また、風呂に入る。痛みはこれまた、軽くなってくる。しばらくして上がると痛みは前にも増して強くなってきた。これはいかん。出血もさほどではない、いつもと同じはずだが、、、痛い。
風呂から上がったらお昼ご飯を食べに行こう。と、思っていたらとんでもない落とし穴にはまってしまった。半日痛いパターンだ。「結構踏ん張ったからなぁ〜」と後悔先に立たず。結局、外にも出られず普通の生活なんてまだまだできん。あ〜〜痛い。
現在、 17 : 00 になろうとしている。本当だったら明日から開業する?林和廣にお祝いを持って行って、病院で仕事をしている由香ちゃんに差し入れを持っていって、お父さんお母さんの所で少しおせち料理をもらってきて、ニトリへ行って、お尻のクッション買ってきてそれからサティーに行っておそばなどを買ってと予定が一杯だったのに全部パーになってしまった。家内をまた一人で外へ行かせてしまった。心苦しい限りである。「ごめん・・・」
1 月 1 日(木)今日は朝から調子が良かったが、正月と言うこともあり気持ちも晴れやかである。ボルタレンは食後に 1 錠だけ飲むことにした。今までは 1 日に4錠飲んでいたのだから食後なら3錠だ。進歩していると言っていいだろう。しかし、昨日が昨日なので年賀状を読んで静かにしていた。と、昼ごろだったか便意を催し排便したが、昨日ほどの排便通もなくしばらくしたら治まった。この時にめいいっぱい出したから、今日はもうしなくても大丈夫と言った自信にも似た思いがあった為、この日 1 日はつつがなく過ぎていった。明日はまた、出るだろう。なんだか、今日は朝から結構食べている。それだけが心配。
1 月 2 日(金)案の定、朝になって排便した。しかし、結構出たのが、痛みはそれ程でもなかったので安心。夕方になって初めて外に出た。大晦日に病院から家まで帰った時外に出た。それ以来まったく家から外に出ていなかった。また、出るのが怖かった。そして今日になって調子もいいのでサティへ行った。人ごみがとても懐かしく。「ああ、やっと社会復帰出来た。」それほどに思った。小 1 時間で帰って来たのだが、力が沸いた。
今日は友人の櫻井と寺島が名古屋からヨットを見に来る予定だ。ちょっとだけこちらに家内と私を見舞ってくれるらしい。少し家に上がっていくだろう。少し便意があるが後でしよう。と、思い少々がまんしていたが 8 時を過ぎてもまだ来ない電話してみると渋滞にはまって下道を走っているとか、敦賀を過ぎたとこらしい。まだ、 2 時間ほどもかかると思い、便意に任せ排便。朝と同じくらい大量に出た。しかし、普通に排便痛はあるものの痛みはさほど続かなかった。 10 時ごろ到着し玄関先でもう行くと言う。しばらく、話をして穴水にあるヨットへ向かった。今日は中島大橋の橋げたで釣りをしてその後ヨットで泊まるらしい。本当だったら私も行く面子に入っていたらしいのだが、如何せんこの状態、まして手術入院、そしてこの状態。無理です。て言うか、そんな、我慢大会みたいなのはしたくない!
術後 8 日も過ぎ、冗談もかなり書けるようになっている。それだけ、痛みが少なくなったということであろう。
1 月 3 日(土)今日はかなり楽になっている。排便時痛はあるが、長くはない。まったく痛みのない時も(忘れている時も)ある。良くなったと言う実感がわく。今日は夕方から外出する。外で食事をし、思い切ってカラオケなど行ってみる。残念ながら腹に力が入らない。高い音が出ないのだ。ま、しかたがない。まだ、少しは痛いのだから。
1月4日(日)今日は私の誕生日である。朝から、昼ごろまで気が付いていなかった。早、39歳になってしまった。来年は40歳である。思えば開業して10年目となり、今までやってこれたのも家内のお陰であり、患者さんのお陰でもある。感謝の心は忘れてはならないと肝に銘じる。
明日から仕事始めだ!何とかここまで回復し、どうやら仕事も出来そうである。これも、ちょっと早い正月休みをくれた患者さんのお陰であり服部先生の手術のお陰でもあり、そして何より家内の献身的な看病のお陰であると皆に感謝し明日への励みとしたい。
この11日間の痛みを皆さんにいろんな意味で理解していただき、そして、こうならない生活をしていただきたい。と、強く思います。(とりあえず、長く便座に座っていないこと!)
いかんせん私の症例はかなりひどいものであったと思うし。服部先生もまた、そう言っておられました。私の1週間の入院生活の中で、1日で退院した人、3日で退院した人など、それぞれで、そんな人達をうらやむ様に見ていた自分もあった。痔と、一言で済ませるものではなく、 10 人十色ということを理解していただきたい。また、今になって言うが座薬でも入れて痛みが止まればいいと言うよりも恥ずかしがらず診察して現在の状態を知り硬化療法や根治術など選択する勇気を持って欲しい。そして、手術の時は服部先生によく相談していただくのが何よりも、安心であることをここに付け加える。
最後に当たり、皆さんに迷惑をおかけしたことのお詫びを兼ね、ここに、1症例としての“リアルタイムな患者の痛み”を書き記し、服部先生や家内、お見舞いに来てくださった方々そして、ご迷惑をおかけした当院に通院する患者さんに感謝の意を表し筆を下ろしたいと思います。
平成16年1月4日(日)
おかもと接骨院
院長 岡本 透
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